他者に思いを馳せる ー 建築家 浅利幸男 <前編>

[ お話を伺う ]

建築家として活躍中の浅利幸男さん
建築家として活躍中の、そして「八聖殿」のデザイナーでもある浅利幸男さんにお話を伺いました。




Q,
まずは浅利さんを知らない読者のために、どのような仕事をされているか教えてください。


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私は、大学・大学院と建築を学び、卒業後はずっと設計の仕事をしています。
学生時代から何人かの著名な建築家のオフィスでアルバイトとして働いていたのですが、徹夜で設計に取り組むこともある大変ハードな職場ばかりでした。就職したのは、公共建築物を設計する比較的緩やかに働くことができる会社でした。そして5年間にわたり、学校や都営住宅など公共建築の設計に携わりました。
サラリーマンとしての設計活動はそれなりに楽しかったし、起伏の少ない安定した人間関係に平和すら感じていました。独立したきっかけは失業保険が出るまでの5年間は勤め上げようとの思いからで、特に高い志もなく、建築を通してやりたいこともありませんでした。

独立後は何の資源もないし、決まったクライアントもありませんでしたが、個人オーナーの住宅から、デベロッパーをオーナーとする集合住宅、地主の資産運用、商業ビルや店舗等、次々に仕事が舞い込みました。そんな中、考えていたことを建築にするというよりは、建築を通して人間や社会についてモヤモヤ考えることが多くなりました。
例えば収益物件としての集合住宅、このジャンルの建築が商品と呼ばれて久しいですが、不動産業界では、その評価基準は専ら利回りや、相場からはじき出される家賃等、経済合理性を軸とした定量的なものです。ここ数年で徐々に利回りは低くなり、空室率は増えています。経済合理性は本当に合理的なのだろうか?私が手掛ける集合住宅は、求められる機能スペック等、既成のセオリーをかなり無視する一方で、人間の生理的な欲求や情緒等、定性的なものに出来るだけ応えようとしています。結果的に家賃は相場よりかなり高く、しかもどれも満室か、満室に近い。そんな建築を取り巻く制度や慣習に対しての疑問が大きくなる中、私は「まなか」という会社に出会いました。


Q,
まなかとの出会いと、その時の印象について教えてください。


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まなかとの出会いは、弊社とお付き合いのある大手不動産会社からの紹介でした。その不動産会社はまなかの建築プロジェクトを複数の大手ハウスメーカー等に提案させていたのですが、どうもマッチングしない。そこで弊社に白羽の矢が立ちました。最初の出会いでお互いの波動がぴたりと一致していることを感じ、説明に多くを要しませんでした。こうして最初の建築プロジェクトが始まったのですが、彼らは企業理念と2、3の目的を伝えるだけで、デザインに対しては最後まで一切口を出さない。むしろ対話の中で盛り上がっていたのは、皮膚感覚とも言える素材選択や、そこから生まれる空気感みたいなもの。社会構造を外側から見る冷静な視点と、社会をより良くしようという強い理念が共有できているからこそ、お互いの専門技術をリスペクトしながら、一緒に最高の仕事ができるのだと思います。


Q,
「偲ぶ」ということを、浅利さんはどのようにお考えか教えてください。


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「偲ぶ」ということは一言でいうと、自分以外について思いを馳せることだと思います。それは故人だけでなく、他人であったり、動物であったり、自然であったり。最近はスマートフォンとにらめっこしている人が多いですが、時には読書をして他人の考え方に共感したり、映画を見て少しの間、他人の人生を生きるのも良いかも知れません。「生きている」のではなく「生かされている」と感じる。利己的に行動するのではなく、利他的に行動する。必要なのは仏教的な考え方だと思います。
都市化やグローバル資本主義経済の発展、それに伴う伝統宗教の衰退等により、共同体は徐々に解体されつつあります。かつては村単位で執り行った葬儀は葬儀会社に任されるようになり、葬儀やお墓にも経済合理性を求める方が増え、納骨堂という新たなお墓の形式が現れました。納骨堂という形式はお墓に比べると遥かに経済合理的であると評価出来ますが、私は共同体の最小単位を守ろうとしてギリギリ踏ん張っていると感じています。共同体がどんなに荒廃しても一親等の繫がりは残る。失いつつある人との繫がりや自然との繫がりは惰性的なもので、経済合理性では決してつくれません。解体されつつある共同体を一歩一歩再構築したい。そんな思いから「まなか」の納骨堂・八聖殿プロジェクトは始まりました。


>>後編に続きます。

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