他者に思いを馳せる ー 建築家 浅利幸男 <後編>

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前編に引き続き、建築家として活躍中の、そして「八聖殿」のデザイナーでもある浅利幸男さんにお話を伺いました。




Q,
浅利さんが考える「偲ぶ」ということを
「八聖殿」の設計でどのように形にされたのか教えてください。


八聖殿
まず、八聖殿の所在地である龍泉寺を訪れ、伝統寺院にあるべき聖域としての佇まいとは異なるものを感じました。境内を囲む背の高い塀は閉鎖的で、葬儀場とアスファルトで舗装された駐車場が本堂と参道の佇まいを圧迫していたのです。住職によると現在、葬儀場と駐車場になっている場所は、元々緑豊かな庭園であったそうです。そこにひっそりと殆ど使われていない築40年あまりの納骨堂が建っていました。これが後に「八聖殿」として生まれ変わるのですが。
当初、設計を依頼されたのは納骨堂だけなのですが、住職の話を伺って「死」に関わる納骨堂の改修だけでなく、「生」に関わる場として寺を本来あるべき姿に戻したいと考えました。なぜなら、そもそも仏教は家の継承を願う祖先崇拝にだけ与するものではないし、お墓の形式は変わっても「偲ぶ」という習慣は然う然う変わらないものだからです。そこで伝統寺院が本来持っている聖域としての吸引力を引き出そうと、湾曲していた表参道を真っ直ぐにして、そのパースペクティブの焦点が本堂に合うように付け替えました。更に元々表参道のあった場所は植栽して葬儀の場と参拝の場を明確に分節しました。その上で、表参道周りの塀を全て撤去して、誰もが入りやすいように寺を街に開放したのです。


Q,
「八聖殿」の設計において一番大切にされたことについて教えてください。


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いわゆる納骨堂や樹木葬のような、新しい墓の形式は機械仕掛けやモニュメント等、人為的予定調和に頼るものが多く、胡散臭さすら感じます。そもそも故人に出会い、偲ぶのに相応しい時間/空間は人智を超えた超越的なものでなければならないはずで、そのような聖域を私のような一建築家がデザインしても良いのかと、最初は悩みました。後に、かたちをデザインするのではなく、自然現象を映し出すためのフィルターやキャンバスをデザインすれば良い事に気付きました。今回「八聖殿」とともに誕生した表参道両側の庭は、木漏れ日で光を、葉擦れの音で風を、異なる結実や開花時期によって季節の 移り変わりを情緒豊かに伝えてくれます。トイレや水屋の表情豊かな壁面や水盤に広がる波紋はその一回性の自然現象を豊かに映し出すためのキャンバスとして機能しています。こうして「死」の象徴である八聖殿に対して、そこに至るまでの参道を「生」の象徴として対置させました。水盤を跨ぐように掛けられた階段は生死を分ける結界として機能します。八角形の八聖殿は宇宙のかたち=冥土そのもので、中心部にある版築の螺旋階段は 天空のトップライトが土中を意識させつつ、回転運動の中で内省を促します。辿り着いた納骨室は宇宙空間そのもので、そこで故人と出会うのです。


Q,
八聖殿の設計において一番印象深かったことを教えてください。


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竣工後、お子さん連れでお墓参りにいらっしゃるご家族が増えていることに気付きました。子供達はお墓参りとは関係なく、庭や水盤で遊んでいます。小さい時に寺で遊び、お参りをして寺への愛着を育み、結婚して子供をつくり、そして死んで行く。寺はその命の繰り返しを静かに見守る場所であって欲しいと思います。前編でもお話ししましたが、人との繫がりや自然との繫がりは惰性的なものなので、すぐに結果が出せるようなものではありません。この改修は寺を本来の姿に戻す計画でした。寺は変わらない方が良いのです。

本日はお話ありがとうございました。



浅利幸男

有限会社ラブアーキテクチャー 一級建築士事務所 代表
http://www.lovearchitecture.co.jp

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