形見とて 何か残さん 春は花

[ コラム ]

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「死ぬって、いったいどういうことなの?」

幼いころに、周囲の大人たちに何度も同じ質問をしたことを憶えている。どの人に尋ねてみても、「死」とは身体や意識がこの世から消えてなくなることだ、といわれた。しかしわたしには、この世から消えてなくなることが「死」なのだ、ということがいまだにうまく想像できていない。年端もいかない子に、突然大きな難問を突きつけられた大人たちは、さぞかし面喰らったのではないかと思う。

そもそもわたしたちは「死」について、普段から考えることがあまりないままに過ごしている。死別などの経験から、「死」について考えるというよりも、実は死別と自身の感情との折り合いをつけることを「死」を受け止めることとして了解してきたのではないか。


「死」を考え続けることは、同時に「生」をイメージすることで、二つは対であり、わたしには切り離して考え、イメージすることがどうしてもできない。
 唐突なのだけれど、「お前がいなくなっても、世の中は動きつづける(世界は変わらない)」と教師にいわれたことがある。「お前がいなくなっても」のあとに続く言葉が「世の中は動きつづける」なのか、「世界は変わらない」なのかいまではごっちゃになって判然としないけれど、とにかくわたしは「生」と「死」をイメージするときにこの教師の言葉をいつも思い出す。教師はおそらく、わたしの怠慢な態度に反省を促しながらこの言葉を投げかけたのだろう。そのときの具体的なシチュエーションはよく憶えていないが、この言葉を投げかけられたとき、それまでモヤモヤとしていた「生」へのイメージが立体的になったことを鮮明に憶えている。これほど「生」と「死」を考えるきっかけを与えられた言葉は、これまで出会ったことがない。

 

立体的になった「生」へのイメージとは、この「生」は偶然にもこのわたしに降ってきて、この身体で自由に生きてもよいというようなモヤがかったものではなく、わたしに与えられたこの「生」はとりあえず有限なのだから、日常の中の具体性の積み重ねでわたしの「生」が彩られ形作られる、ということがイメージできるようになったということだ。

この世に生を受けたのだから、わたしのこの「生」の証というものを遺そう、と誰の頭にも一度はよぎることかもしれない。でもそれらにこだわりつづけるかぎり、人はその幻影に翻弄され続けるのではないか。また身体が「死」の訪れとともに、それを物質としての身体の到達点として捉えてみれば、火葬ひとつとってみても、この大気中に拡がった身体を構成する元素は消えることはない……。このことを端的に表現した歌がある。

 

形見とて 何か残さん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉

 
現代の言葉に訳せば、「わたしを形作った身体が、いずれ春の野に咲く花々や、ホトトギスなどの野鳥や、紅葉に姿を変えまた生まれ来るだろう。あえて形見など残す必要もない」といった意味になるだろうか。1968年に小説家・川端康成氏のノーベル文学賞授賞式での講演(「美しい日本の私 その序説」)でも紹介された有名な歌で、江戸後期の僧侶で歌人でもある良寛(1758〜1831)は半ば辞世の歌としてこれを詠んだ。 良寛和尚の歌から醸し出されるものは、わたしはやがて衰えて息絶えるので、わたしたる所以のなにかを遺さなくてはならない、という幻影から解き放たれ、ただ穏やかに生きることを全うする、という「生」への全面的な肯定感そのものではないだろうか。 「死ぬって、いったいどういうことなの?」 今のわたしは、幼いころのわたしに、こう伝えてあげたい。「まず、生と死を双子のようなものだと想像してほしい。やがて身体は衰え「死」を迎えるけれど、あいかわらず世界は世界のままでいる。誰もが一度は思い描くわたしという証を遺そうと躍起になるだろうけれど、そういうことには限界がある。そんなことにこだわっていないで、日常での具体性の積み重ねを手がかりに「生」を彩り形作っていってほしい」と。

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